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zoom RSS 八丁の滝手前の瀞

<<   作成日時 : 2017/06/18 17:37   >>

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 松茸山園地の東屋から、奥野林道ゲートへ向かおうと、そのとき、園地で憩っていた鳥屋林業組合のおじさんたちから声を掛けられました。

 出たから (おったから)気を付けて

 道路に居たのが上にあがって行った

 クマと喧嘩しないでね (これで二回目です、居たならば入らない。いいえ、三度目です。三度目の正直、くわいです)。

 目的地は倉沢で、ついで気ままに、焼山沢にも寄ろうと思っていましたから、昼行灯のような気持ちで、少し進んだものの、クマ公が居るならばやめよう、クマ親父も気ままに降りてくるかもしれませんから…

 ここら辺は、奥山ではないですが、やはり山中です。クマモンなどと、言語が脱臼したネーミングの頭のまま、熊さんとDEっきりで、スマホで写真撮ってみますか?やおら、逃げたって、時速60Kでダッシュして来ますよ。オリンピックで60Kでダッシュできる人類いますか?おそろしか〜。

 鈴は付けていますが、鈴なんて効果がない場合もあります。最近、各地でクマ出没多しです。実に多いです。異変的な感じが致します。

 おじさんたち、ありがとうございます。私もそろそろ初老にさしかかっとりますので、おじさんではなく先輩の方がふさわしいでしょう。

 もちろん、クマ公と、わざわざ喧嘩したくないです、元々、クマの住処です。奥野大平手前の山の背の水場でかつて出たことはあるそうです。ですが、登山道どころか、里辺にでるのですから、クマが昔のクマでなくなっているのだと考えます。情報の有り難さを思います。鹿が山上に上がり、クマが、降りて来る状態です。これは、畏れなくてはいけません。

 クマが自分の気まぐれに気づくでしょうか? 

 クマも自由、われわれも「自由」です。行政の手段も限界があります。道標などを整備することは三次的なことです。

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 ちまたでは、コンビニ飯では我慢ができないから、TVでグルメ延々とやってんではないでしょうか。

 グルメ番組の出始めのころの有名なフレンチのシェフ。相貌から、想像ですが、家に帰って、鰹、昆布だし、味噌少々を加え、煮荒立て、少し休ませた豆腐入りのオジヤを喰ってんではないかなと思いました。想像です。私にとっては、最高の料理の一つです。水気を飛ばし、飯の粒が立って、かつ、柔らかいところが旨いのです。スタバで買えるでしょうか?

 簡単です。味を☆確かめ☆、自分に合った、良い味噌を買えば、お得だと思います。

 街場の「味」を覚えた熊も、デビット・カードでコンビニ飯買えるならば「共生」なのです。

 願はくは、山への畏怖でしょう。本気で山を訪ね、探すならば、登山道などなくなってしまえなのですから。山では移動で獣に勝つことは出来ません。

 獣も植物もいない、超高所登山は不思議な希望(ミステール)との遭遇でもあると理解しているつもりです。

 クマ公にもどって、鉄砲を持つならば倒すのは、別で、結局、ハンティングとはスナイパーじゃーないですか。走りながらの狩猟など聞いたことないし、無理ですね。真の狩人は、命とそれを断つものの掟を知っている存在だと思います。「ジビエ」や「熟成」とは違う次元ではないでしょうか。要は、畏れであると感じます。

 本日、ハーパンのベルトを忘れ、鳥居原園地のはばかりで、それに気づきました。持っていたφ5mmの細引で、ベルトの代用として、オッサンの恥ずかしい腰パンを回避しました(放浪するなら別に構いませんが)。


 「おもいっきり悲しいもの」という作者自身の言があった、丸山健二『我、涙してうずくまり』岩波100年記念の「水車よ、回れ」はクマを表現の一部にしていますが、2013年のこの本、まったく悲しさが出ていません。

 出たとき、なぜ、丸山が躍動感に乏しい常時、勤行の黴臭い化石の岩波なのかと思いました。



 曇りでしたが、静謐の印象をもっていただければ、幸いです。初夏は初夏なりの水鏡、秋は秋なりです。

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 季節により、また、瞬時、瞬間、川底の褐色が変化します。瞬時がとことわでしょうか。マシン(カメラ)を手懐けるべく短く集中します。この川に親しんだ住民にとっては、その流れは先祖の、そして、自分自身の生と死の綯い交ぜ的な運動であると思います。

 水沢川に降りて30分程撮影し、バスの時間に合わせるために荒井林道で鳥屋に降りますが、間に合わなかったです。結局、帰路、三ヶ木まで合計1時間40分歩きました。

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