鶯谷町 ―アヴァンチュールの一刻
代官山と接する鶯谷町は、東横線が通っている。高架がかすめる細切れのような町の一角には、陸橋があり、曇りの日は、都心なのにどことなくパリ場末の白けたような寂寥感がある。実際すぐそばの明治通からは殷賑を極める街に繋がる。だが、寂寥感は言い過ぎで、名の知らぬ新しい町に、係累が断たれて、予測もしなかった生活を開始するはめになるような錯覚を覚えるというべきか。不本意ながら、しがらみが解かれるが、未来が閉ざされているということではなく、今居る時空を新しく生きるしかないというヒンヤリとした不安と薄いコバルト・グリーンの期待感のなかに居るという感覚。実存に立ち返り、ほのかにレモンの味がついた炭酸入りの水を飲みつつ、自己とは何ぞやと自問したくなるような気分だ。パリと言ったのは、話の取っ攫みのためで、別にヨーロッパのどこか名の知れぬ町であってもいいのである。目に触れるものから、手元にあるものから、その町の歴史を知ろうとするのだろうか、それとも、誰か手っ取り早い話し相手でも探すのだろうか。いや、アヴァンチュールを求めることなど念頭になく、アヴァンチュールそのものに居る。白日夢ではなく、殺風景の妙味とも言うのだろうか。だるく、寒・蒸し暑い7月の実に安いリゾートだった。