真っ白な帆を上げよ

和歌山大学学長 山本健慈 卒業式式辞、平成25年度(2014年3月25日)

(内容は、こころに響き、深く差し込まれた部分のみを取り出し、勝手に要約してある。)

(前段省略)

 みなさんの多くは、一年次に東日本大震災を経験したはずだ。今、その体験をどのようにこころに刻んでいるか。

 己が思ったことは、個人として、そして役目として、何か行動をとるべきだということ、と、同時に、被災者の苦しみに肉薄したいということだった。

 被災地に行き自発的活動をした一人の学生のことばがある。震災までは、学園生活を満喫していた。3.11後、卒業式ができなかった、ある高校の校長の言葉に出会った。

「それでもいまは真っ白な帆を上げよう。」

満喫していた自由は大学の中の自由だと理解した。

「己はその自由を活かしているのだろうか」

「就職が決まり、今までになく、人生と時代に不安を感じる。そして、このやりきれなさに、抗するためには学び続ける以外にない。」

この学生が、私に最後に問うた。

「おまえに不安はないのか」

 そのとき、しっかりと答えることが出来なかった。

 正確には、この学生が己として出した「抗するためには学び続けるしかない。」という真理を抑圧する動きが、この日本社会にあることを、本人の前で表明できなかった不誠実があった。

 今、驚くべきことが公然と行われている。

 特定秘密保護法に対しては、公に危惧を表明した。学びの自由の抑圧だからだ。

 学生が言うように、学びは不安と好奇心から始まる。そして、その行き着く先は誰にも分からない。問いがあるのみで答えがないからだ。そこに醍醐味がある。

 実社会は、多くの判断の差異や対立で出来ている。この違いを自由に学び、自ら判断して、社会・政治に参加するのが民主主義だ。だから、学びの自由は民主主義成立の要なのだ。

ユネスコの国際成人教育会議は言っている。

「学習権は、経済発展のたんなる手段ではない。学習行為は、できごとのなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体に変えるという行為だ。」

 学習権が否定されようとしている、この現実こそが、役目としての、そして、また、それよりも増して己の不安の核心だったのだ。