相模川

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 押し入れの紙袋から、なんだ、これ?

 10代のときに使ったコッヘルとキャンパー水筒がモロモロと出て来る。アルミ用品は、皿とヤカン付きだよ。ヤカン使うよ、蓋のポチを修繕した。水筒は、体に悩ましく反りがあうな。だが、下げるのはハズいな、昭和レトロであってもな。


 天気は確かめなかった。葛根湯などの売薬を服用しておいたが、喉が痛い。

 目的地袋から、玉を変えて取り出す。玉枝となるかどうか。やってみなきゃ分からん、分からん鼠ことよ。


 久保沢から久保沢。

 江戸時代は、ちょっとした町だったという久保沢から谷津川沿いの坂を下り、新旧の小倉橋へ。久保沢は、文字通り窪地で、米穀店、理髪店、酒屋集合。飲み屋も、マクドもあるで。井戸の名残を通過し、谷津川の白滝をやり過ごし、ずんずんと下れば、旧小倉橋だ。坂をきゅっと留めてくれる。

 まんずは、土手の急斜面の憩える小平、スミッコにある水天宮をお参りし、その足で、船着き場状の台場から相模川を写す。山は小倉山。わざわざ龍神なんてかこつけないのが純だぜ。

 川は別嬪さんだ。相模川は女性だろう。多摩川は男だ。半逆光だで。その前にお天道様凝視20秒、ありがてーぜ。

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 この日当りの良好な左岸から、橋を渡り、右岸に降りる。

 いない? トットリ人がいない。いつもならば、ごっつい望遠かました三脚がずらりとならび、ダム放水路にくるヤマセミさまを狙う鳥撮人が群れる場所が無人だ。傍目には分からない天候と時間帯と季節があるのだろう。

 オレ等の言葉は、概略、高低で、ゆっくりと間尺にあった物言いをする時ニャーよ、2段くれーで収まるのが大方の見方よ。

 いねーとなれば、こりゃー、ジャパン・カップなんてもんじゃないゼ。

 抑揚をトーリ越して、こりゃー、アクセントの滝ずら? それとも、アレかな。圏央道開通で、鳥が寄り付かなくなった?

 相模川を下流まで川沿いにナゾルのは止めにして、本日は局所で行こう。

 放水路のある断崖の上には浄水場があり、堰止められた流れは、左奥から蛇行して来る。その奥にダムがある。途中に水力発電の小さいのがポイントを定めている。

 丹沢北部の沢は、大概が宮ヶ瀬に集まり、中津川に行ってしまうが、串川だけは、ここから鼻歌二、三曲の距離で、相模川に入り込む。何の変哲もなき里辺の川だけれども、暴れればとんでもない川となる。少々、オタクっぽいが、中域の造形を見れば、ただならぬポテンシャルを秘めている。安佐南と同じだ。

 ヤマセミはべつに見ようとは思わず、居る鳥を見る。カルガモ。カワウ。

 一羽のその黒鳥が、水面すれすれに滑らかな滑空を行う。すばらしい、流麗だ。橋脚アーチの下は空気の不可視の流れがあるのだろう、やや、煽られたが、翼微調整で、気流をものにして抜けて行った。鳥は見るのがいい。

 細い川原道を川下に歩いて行き、新小倉と小倉橋が重なって遠のき絵となる。どう撮るか。割烹旅館は、立地も当然、考えているから、その前に行く。このあたりまで、日差しは申し分なかった。


 さすがに、シャレコウベ堆積している。

 農道に近い小径をずっと進むと、串川との出合いとなっていた。出合いにつくと、にわかに光りが落ちて、風が出る。それ以降、冬空となる。

 この天気は日本海側の荒天のわずかな届きだな。


 またやってもうた。買った赤飯は、電子レンジ加熱用だった。和菓子屋で、団子や、助六、いなりといっしょに売っている赤飯のこわいながらもしっとり弾力の感触が裏切られ、もろ固いよ。原発事故のあの夏にカレーでやったが、そんときゃ、夏だ。この季節で、これを咀嚼するのも一興かもしれないが、日が陰り、ぽつぽつ来てるよな。村雨よ。

 ハルライト・ミニマリストに赤飯と水を突っ込み、偶然残って袋にあった梅干し茶漬けを振りかけ、バーナーに掛ける。ステンレンゲで、立ったまま食べた。その前に、銀ジャケの味噌焼きは、柔らかく食ったぜ。シャケはどうしても出て来るべきだ。なんせ、このあたり縄文中期の遺跡がごまんとあるんだよ。

 銀鮭は、冷凍のチリ産だろうな。後付けで思い起こした。3.11の前年の3月3日、チリでの大地震の後、オレは、なぜかこの辺りに居て、センダン草の棒チップ状の種が足首にびっしり付いたのを気味悪がった。




 鈍色になり冴えない串川を、河原橋から辿る。相模縦貫道の構造体が津久井城山の裾の深い部分に架かっている。

 春先には、羽の裏がレンギョウ色の鳥がいるところだ。話しは逸れる。オレはオオルリをチャリで見た。あれは、全部、青いのかと思っていたが、腹は白いのだ。早戸川をチャリで下り、確かに見た。黙ってしまう鳥だ。

 互いに移動しているもの同士で、白と青が瞬時混ざって水色に映った。獣の腹を見る事は稀だぜ。

 ドン詰まりあたりには、廃屋のような民家が二三軒まだ息を留める。かなりな殺風景の度合い。猪子槌の類いが、煤け、即死している。

 南の空は下から三分晴れ、レンズのような飴色の雲が浮いている。くーっ、デ・キリコの既視感。殺風景とは、しかし、でも、景勝の対極であると置くならば、まだ、いや、妙味を射抜くことが許される味わいこそ残すものだ。

 廃棄物、ゴミの「聖性」を写真で撮ってみたい願望がかなりまえからある。

 こと、このポイントに関しては、一ミクロンも引っ掛かっていない。

 外来種セイタカウコギ(大狼杷草)の柄がバイオレット。こういうのは、カメラのAF機能が迷いを生んで、合焦に揺らぎがでるので、マニュアルで撮る。

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 幾ばくかの作物も植わり、里芋の葉がしなだれかかっている。家屋にはなんとか道場という宗教系が読めた。厠の煙突のカラカラが認められる。全体がジトーとして小暗い。サア、ショットしろよ。

 「テン、テンリ、テンリュウ庵..」天龍庵。蕎麦屋か?いけね~な。

 天龍源一郎は、渋くまともだった。力士出身でな、越前の。イカサマ臭いスタン・ハンセンや、さらに輪をかけてうさん臭い上田馬之助とリング板に上がっていると、ヤツはマトモな気がした。

 止めとくよ。変なものが映りそうだ。弱いな、でも、葬儀の跡の花がぶちまけてあるのは何なんだ。良いとは言えない相の場所だ。頭上に勇躍する圏央道のドライバーとは別の世界だ。ひどく変形した黄色い夏みかんが一つ転がっている。まだら狼、馬之助も海部郡の力士出身で、もう鬼籍に入った。こりゃー、ご供養かもしれない。まやかしの形容詞、百万ダラよりも、マダラというのがこの場所にふさわしい。


 この季節、里芋はありがたいよな。あのぬめぬめが暖かい。暗い土中で育つ里芋の膚は白く、赤みそにあうんだよ。

 ジョゼフ・コンラッドは、そんなことも引っ括めて(?)、素手で光りと闇を描いた偉いやつだ。闇が闇だ。あの人には、高性能な肉・心の眼がある。「ラグーン」が念頭にある。

 それは、どんな画像よりも美しい。


 それで、このスポット、リニア新幹線が通る予定らしい。小倉山、仙洞寺のヤマは国有林で、そいつを繋げる計画のようだ。


 まだらボケ、脳乱、いい加減にして、戻り、尾崎坂から宮原の八幡を過り、新小倉橋に乗る。空の模様、ターナー。とはいって、その画家の本物を見たことはないと思う。質の悪い画集かなんかだったろう。

 ここ15年位の美術館の駅に圧殺的に張られる宣伝ポスターは、オレが最も反吐を吐きたい代物よ、

 連張りも3枚ほどならいいが、通路、首、出口まで連続かよ、バ~ロー。

 次の週には、全面、サラ金ポスターのえぐい写真よ、バカヤロー。

 スパゲッティ食べてパン食べて、パン、パン、スパ、パン、パン食べて、おれら、おのれの精神「パンパン」か?


 橋のポケットで雨宿りする。降下途中まで雪だな。天井があり、その白い鉄板を見上げると、底が抜ける感覚がし、すこし眩暈を感じた。ここで、一時間粘る。

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 妙な光りになってきた。雨は軽く落ちている。城山の方は、菫青に白雲が飛び、川下の向こうの空は、オレンジの帯だ。橋下の水面で、カルガモの動きが活発になる。隊列で遡行したり、単独で、水輪を切っていくやつもいる。一人足りないけれども、ポン・ヌフの恋人達か?盛大に花火ぶっ放す時季は過ぎちまったな。オレの望遠は甘ちょろいので、二人かも知れないぜ。

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 これらを見て、帰る。夕日をえげつなく待ったりするのは止めて。

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 久保沢から久保沢。