蛭ヶ岳(続)
ありゃー、撮っても、撮っても、焦点甘いです。自分でローパス・フィルターを掃除したのでいかれたのでしょうか。そんなことはありません。近傍の寺の瓦を試写します。鮮明です。ついこの間、日中気温20°越えの日に蛭ヶ岳を定点撮影しましたが、この気温と風で当然、空気の揺らぎ越しに山に対面していたのでした。梅雨期に山見えませんよね。逆上せて少し気分が悪くなるような逝かれた日でした。山では雪崩警戒の気象です。
その~、居魔(いま)、正に、ローパス・フェイルターは、撮像素子というデジカメの網膜といいましょうか、肝心要の箇所です。一眼は、交換レンズの着脱が頻りですので、気を付けても、カメラ内部に細かな塵が入りがちです。そこでセンサークリアー・ルーペというものを買いました。軟プラの透明ケースが仰々しい箱に入っています。逸る気持ちを抑え、喧しいプラケースを、ハサミでチップ状にして処理しました。ローパスをいじることは微妙ですので、こころ鎮めます。ですけれども、家電プリンタのスキャナーの素子と原理は同じで、そのコンパクト化でありましょう。ホラー映画を見ながら、この俳優、カメラの前で、何こわがってんの?と同じような気がします。肉声や肉眼に敵うものは滅多とないです。お仲間たちの高揚感は興味ないです。さて、添付のアルカリ単4は、お試し品なので、新品を充填し、ルーペ内部のLEDを灯します。このライトの部分も、レンズの部分も何となく薄汚れていて感じ悪いです。対物レンズも内側に埃があるようです。光学製品にあるまじき状態です。エタノールで全体を一拭きし、レンズ・マウントに装着し、レンズ高を調整してローパス表面に焦点を決めようとしますが、あてどもなく茫漠としています。その~、魔坂に接眼レンズの保護シート付けたままでした。外しました。センサー上の埃などを拡大、照射し、目視して、拭き取りチップが先端についた会釈するペンで微小な付着物を一点、一点拭き取るという道具です。私は、目につくゴミのみを控えめに浚うに止め、深追いはしません。この程度のものとしておきましょう。その~、2、3千円ではないですよ、この品。対物レンズの内側の面を拭き取りたいですが、シャーシがプラ接着組み上げのようで、レンズ掃除するには、これを壊す必要がありますね。いずれやりましょうか。ぴったりではありませんが、観光地の土産物屋で、下らないものを買ってしまった気分です。いや~、がちゃがちゃのカプセルの中身の哀愁ですかね。ゼロ金利ですが、借金をして、頃合いを見計らい、封鎖されたらだるま落としですよね。昔の玩具を懐かしみます。別にケーザイ学専門でなくとも、行く末は真坂のホモ・裂ケルに近いんですとは獣の直感です。チャリの場合内部でモモ裂ける感覚でしょうか。笑ってる場合ですと、そこのお嬢さん。なんせ、言葉、統制の極みで崩壊してますから。パピがポピをプペた、どころじゃないです。
ところで、その翌日も、しつこく蛭を撮りに、横山の道の山王塚(当古道の最高地点)までわざわざ出かけました。塚は土まんじゅうがあるだけの殺風景な所です。でも独りだと思ったら、ワンころ二匹散歩させているカネモチそうな中年や、古道ランニングのおっちゃんも来るんですよ。塚だから墓だったのでしょう。万葉の横山の道がどこに比定されるかも興味は薄いです。丹沢主脈で、こっちはチャリ、向こうは歩きで、倒木潜っている時の出会いのアッという、友よ、なんと妙な恥ずかしさの夜路死苦感とは全然違います。郊外型の開発で辺りは堂々と、どっちらけています。山、期待できません。稜線シルエットのみで、山肌、谷の影などの立体感は皆無です。三脚持って行きましたが、クイック・シューを忘れましたので手持ちです。広げた三脚は、無用物で、気分的なオブジェです。空しいですが気分乗ってきました。山はだめです。背後でギー、ギーしています。
この日は、鳥と言う気分ではないので、鳴くにまかせておいたのですが、どうにも構ってくれという感じなので撮りました。近いです。山肌の細部が掴めなくて、眼が冴え冴えと、密写のヨクボーがぎらついていましたので、ナロー・フォーカスで眼を決めます。
舌骨が舌から頭蓋へとグルリとヘッド・ギアのように巻き込み、付け根が可動的で緩衝効果を備える嘴です。これにより嘴打撃の衝撃を頭骨の背後に逃し、また、脳髄液が頭骨内の極めて狭い空間にシールドされているので、スプロシングが少なく、秒20ストロークの打刻に脳が耐えられるのだそうです。嘴元の濃く密な羽毛と髭、耳毛のふさふさが見えます。コゲラの眼に映るものは、願わくば、逆光に浮かぶ蛭ヶ岳であると思いたいです。方角合っています。
